ブラント「グッチ」の創始者であるグッチオ・グッチは1881年、フィレンツェの帽子製造業の家に生まれました。20世紀初頭に帽子製造の家業が倒産したため、グッチオ・グッチは故郷イタリアから単身イギリスへ渡ることになります。
グッチオ・グッチは、イギリスでホテルのエレベーターボーイとして働き、そこで上流階級の好むカバンのデザインなどを意識し始めます。この経験がブランド「グッチ」を創業するキッカケになったのかもしれません。
グッチオ・グッチは故郷フィレンツェのに戻った後もアンティークショップや皮革会社で働き、マネージメントなどを学びました。そして1921年、フィレンツェのヴィグナ・ヌオヴァ通りでブランド「グッチ」の歴史の始まりとなる革製品の輸入・販売店をオープンさせたのです。
オープン当初は旅行カバンと馬具を主に販売していましたが、1923年にはパリオーネ通りにフィレンツェの伝統職人技術によるハンドメイド高級革製品店もオープンさせ、その品質の高さから、一躍高級ブランドとしての地位を確立します。
グッチオ・グッチは、品質保証のために製品にデザイナーの名前を入れたダブルGのモノグラムを販売しますが、この製品にデザイナーの名前を入れるということは世界で初めてのことでした。
1938年、ブランド「グッチ」の最初の危機が訪れます。第2次世界大戦の影響で、国際連盟による経済制裁でイタリアは他国との貿易が禁止されたため、原料である牛革の入手が困難となったのです。しかし、グッチオ・グッチと息子のアルドは、持ち手を竹で代用したバッグを考案します。これが、後のバンブー・バッグの始まりでした。
このようにグッチオ・グッチは、様々なアイデアで人気ブランド「グッチ」を作り上げてきました。1953年にグッチオ・グッチはこの世を去ることになりますが、彼の子供や孫、それに優秀なデザイナーたちが、グッチオ・グッチの意志を継ぎ、ブランド「グッチ」は現在でもなお世界中の人気ブランドの一つとなっています。
グッチオ・グッチはフィレンツェで成功を収め、1938年にはローマのコンドッティ通りにも新店舗をオープンさせます。そしてグッチオ・グッチの息子であるアルドは、自社製バッグに自らがデザインを引き、自分のイニシャルであるGを二つ組み合わせたGGマークを完成させました。
翌年の1939年からはグッチオ・グッチの息子たちが本格的に事業に参加し、ブランド「グッチ」を盛り上げます。1950年代、ストライプ・ウエビングや、1952年には金具のついたモカシンを発表したことで、さらに人気は向上していくのでした。
1953年に、残念ながらブランド「グッチ」の創始者であるグッチオ・グッチは亡くなり、息子や孫が後を継ぐことになりますが、同じ年にグッチニューヨーク店をオープンし、ブランド「グッチ」は高級ブランドとして世界中にその名を広めることとなったのです。
1956年にはグレース・ケリーのために花柄の「フローラ・スカーフ」もデザインしています。
グッチオ・グッチの死去後もブランド「グッチ」は、1960年代に「ビットモカシン」や「レディスウェア」の発売、GGマークの登場、1970年代には香水も発売され、香港や東京などのアジアにも新店舗をオープンさせました。
この頃のブランド「グッチ」は優雅で高貴なイメージがあったため、「ローマの休日」で知られるオードリー・ヘップバーンやエリザベス・テーラーなどのハリウッドスター、ジョン・F・ケネディ元大統領婦人のジャクリーン・ケネディたちが愛用し、絶大な人気を誇ります。1980年代にはプレタポルテにも進出しています。
しかし人気の反面、経営的な問題で親族間の争いが絶えませんでした。2代目アルド・グッチと息子パウロの関係が悪化し、大きなスキャンダルを起こします。
またコピー製品の大量生産により、ブランド「グッチ」のイメージは低下していったのです。さらに不況のあおりもあり、今では考えられないことですが、この頃のグッチは倒産すら噂されるほど深刻な経営危機に陥ることとなるのでした。
1978年、ブランド「グッチ」はオランダのアムステルダムに本社を構えます。名前もグッチ・グループ社として、新たなスタートを切りました。
ブランド「グッチ」の3代目となったグッチオ・グッチの孫マウリッツィオは、持ち株を売却するなどしてブランド「グッチ」の経営を改善しようと努力します。
1989年には、バッグドーフ・グッドマンの社長だったドーンメロー女史を副社長兼クリエイティブディレクターとして迎え入れます。
彼女はジェフリー・ビーンのデザインチームにいたリチャード・ランバートソンを採用したりしてブランド「グッチ」の再建をはかりますが、時は既に遅くマウリッツィオは1993年にインベストコープ社に株のすべてを譲渡したのでした。
インベストコーブ社はブランド「グッチ」を再建させるためグッチ・グループN.V.社を設立します。CEOにはグッチ・アメリカ社の社長でもあり弁護士の資格を持つドメニコ・デ・ソーレが就任しました。
1994年、ドーン・メロウは自分の後継者として、クリエイティブ・ディレクターにトム・フォードを迎えます。
トム・フォードは今までのブランド「グッチ」のデザインに現代的なデザインも取り入れ、新しいブランド「グッチ」のイメージを作り上げました。これが話題を呼び、なんとこの年のグッチの売り上げは倍増したと言われています。
さらに1995年VH−1のファッションズ・フューチャー・ベスト・ニュー・デザイナー賞を受賞、1996年にもメンズウェア・アンド・ウィメンズウェア・デザイナー・オブ・ジ・イヤーを、1999年にはウィメンズ・デザイナー・オブ・ジ・イヤーを受賞するなど、世界中に注目される存在となったのです。
これによりブランド「グッチ」の存在も、優れたデザインを誇るブランドとして再び人気を獲得したのでした。残念ながらトム・フォードとドメニコ・デ・ソーレは、2004年にブランド「グッチ」との契約が切れ、グッチを去ることになりますが、彼らの後継者たちは立派に後を引き継ぎ、現在もブランド「グッチ」の人気は続いているのです。