「カルティエ」というブランドはあまりにも有名。時計は一生物と言いますが、そんな時計を購入しようと考えた時、きっとカルティエというブランド名も頭に浮かぶ事でしょう。
ジュエリー&時計の歴史はカルティエ抜きでは語れません。ジュエラーであったカルティエが今日、腕時計の有名ブランドに成長するまでには息子アルフレッド、三代目ルイの代になっても尽きる事の無かったカルティエ挑戦があったからです。
アクセサリーと時計との融合。今やなくてはならない腕時計、誕生と同時に身に着ける美しいアクセサリーとしてカルティエの歩みは始まったのです。
1847年カルティエ創立以来、今日に至るまで約150年にわたりロイヤルジュエラーとしてヨーロッパの貴族、各界著名人に愛され続けています。その魅力あるカルティエの製品は歴史と伝統とともに今も世界最高級マーケットにおいて世界一の業績を誇っています。
王家のネックレスから、私達でも身に着けられるブレスレットまで、そんなカルティエを紹介します。
1969年、カルティエ ニューヨークはすべての恋人へ送る斬新なブレスレットを創作しました。日本でも話題になった「ラブブレスレット」。専用の小さなドライバーが付いていて、2人でなければ閉めることのできない仕組みになっています。もちろんモチーフはビスです。互いの愛をこのブレスによって自ら誓う、言うなれば「愛の手錠」。
ビスを施したデザインは斬新でありながら控えめでシンプル。カルティエの代表する素晴らしい作品です。
1920年、インドの王子達はヨーロッパに立ち寄り、パリやロンドンのデザイナー達に家宝のジュエリーを託してヨーロッパスタイルに作り直しました。その中でも、インドの王子の一人であるパティアラのマハラジャは至上まれにみる宝石達をカルティエに託し、極上のネックレスのデザインを依頼したのであります。そのオリジナルネックレスは、合計962.25カラットのダイヤモンド2,930個を使用したと言われています。
3代目、ルイ カルティエの時代には「宝石商の王」と言われ、多くのお受けご用達となり世界に名をはせるジュエラーと成長していきました。 ジュエラーの作る時計だと敬遠される方もおられるかもしれませんが、時計の分野でも古くから製造に取り組み、ピエールとジャックは並外れた想像力で、サントスをはじめパシャなど時計の歴史を飾る製品を生み出し、現代も色あせないシリーズとしてカルティエならではの美しい本格機械式時計を作り続けています。
過去にはイギリス国王エドワード7世、エリザベス女王、ウィンザー公爵夫人など皇帝の人達も愛用してきました。時計の技術、ジュエラーとしてのセンス、常に画期的でハイクオリティなジュエリーを作り上げるカルティエの精神は今の時代も生きています。
1847年、宝石職人であったルイ=フランソワール・カルテイエは、師匠のアドルフ・ピカールからパリのアトリエを譲り受ける。
1872年、息子であるアルフレッドを共同経営者とし、その25年後にはアルフレッドとその長男ルイと「アルフレッド・カルディエ&フェス」として経営する。
1900年になると、マテリアルとしてのプラチナ導入が成功し、ガーランドスタイルの作品はその完成度を高めていく。2年後には、ロンドン、バーリントン通り4番地にカルティエロンドンがいよいよオープンする。そしてイギリス国王エドワード7世の御用達店となる。しかしこの年、ルイ=フランソワ・カルティエは帰らぬ人となる。
1960年、ジャック・カルティエがロンドン店の指揮をとり、ルイと弟ピエールは「カルティエフレール」を共同経営することになる。この頃から抽象的、幾何学的なフォルムのアール・デコスタイルの到来を告げるデザインのジュエリーが現れるのである。カルティエの代表作の一つとも言える、「トノー」もころころ誕生するのである。
1909年にはピエールがニューヨーク5番街に支店をオープン。
1917年、現在のカルティエニューヨークである、5番街653番地の角地に移転。(詳細は「芸術」のページに記載)
1933年、女性であるジャンヌ・トゥーサンがカルティエハイジュエリー部門責任者となる。
1972年、ジョセフ・カヌイを中心とする投資家グループがカルティエパリを買い取り、ロベール・オックが社長に就任する。
1979年、カルティエパリ、カルティエロンドン、カルティエニューヨークを「カルティエモンド」の下に統合し、世界中のカルティエ利権を統合する。
1981年、「カルティエ インターナショナル」となり、アラン・ドミニク・ペランが社長に就任。
1984年、カルティエ現代美術財団を設立。
1988年、「パーソナルライン」コレクションを発表。カルティエ ジャパン株式会社設立。
以後、時計のデザインは原型をとどめながらも、現代の若者にも受け入れられるデザインへとカルティエの新しいデザインの挑戦は終わることがない。
腕時計世界の歴史の中にカルティエは存在します。ただ単なる有名ブランドというだけではなく、カルティエはジュエリー界に貢献し名を残すすばらしい実績のある誇り高いブランドなのです。プラチナをジュエリーにはじめて取り入れたのもカルティエです。
1912年、初のミステリーロック「A」を発表し、最初のバスケットカットのダイヤモンドを製作する。
1923年、門形ミステリーロック「ビリケン」が誕生する。
1924年、イエロー、ピンク、ホワイトのスリーカラーゴールドの「トリニティ」リング&ブレスが誕生する。
1942年、ドイツ軍のフランス占領を象徴するジュエリー「籠の鳥」を製作、占領が解放された2年後にはそれを祝う「自由の鳥」が創られた。カルティエの非常に有名な作品だ。
1969年、カルティエニューヨークが69.42キャラットもの素晴らしいペアシェイプカットダイヤモンドを購入。 リチャード・バートンは、このダイヤを購入しエリザベス・テーラーに贈るのである。 これがかの有名は、カルティエ=テイラー=バートンダイヤモンドです。
1970年、日本でも話題になった「ラブブレスレット」誕生する。
1974年、ボルドーカラーのレザーグッズコレクションを発表。 カルティエは時計だけでなく幅広いアイテムを増やす。万年筆や香水なども、次々に製作。
1979年、スカーフを発表。
1981年、香水を発表。
以後もカルティエの代表作は、当初のモチーフを大切にしつつ美しくデザインを変化させ、次々に新しい腕時計を発表していく。
カルティエの芸術は時計だけにとどまる事はない。
1984年にはカルティエ現代美術財団(Fondation cartier pour I’art contemporain)を設立し、フランスにおける企業メセナの見直しに尽力してきました。多種多様なアーティストのために創作・発表の場を提供しながら、現代のモダンアートをできるだけ多くの人々に紹介するために設立以来、カルティエ現代美術財団は今も活動を続けています。
カルティエと上流階級、王宮、芸術家、との交流は積極的に行われてきました。世界的歴史の中にもカルティエの存在は消す事はできないほどです。カルティエはアクセサリー、時計の歴史にも数々の業績を残し、歴史の証人となる作品も存在します。
それらは「カルティエコレクション」として、希少なジュエリーやティアラの最高コレクションまで1200点以上の作品が終結されて大切に保管されています。この「カルティエコレクション」は、1989年のパリ、ブティバレ美術館を最初としてこれまで世界の名高い数々の展示会に出品されてきました。2004年には京都でも出品されました。
カルティエ ロンドンは2005年に百周年を迎えました。エレガンス、エキセントリック、クラシシズムを見事に融合したこのカルティエ ロンドンはこれからも上流社会の一員として、またリーダーシップとしてイギリスの地でも異色の魅力を放ち続けていく事でしょう。
1905年にルネッサンス パラッツォ様式でモートン・F・ブラントと夫人のために建てられた邸宅は、1917年ピエール・カルティエが55個と73個の2連パールネックレスと交換する形で売却した。そして2000年、この5番街653番地のカルティエ ニューヨークは顧客にとって贅沢で居心地のよい空間を作り出す一方、邸宅の居住空間的要素と建造物の魅力を復元するために修復作業を始動する。