セリーヌは1945年、女性実業家セリーヌ・ヴィピアナ(Celine Vipiana)が夫のRichardと共に子供靴専門店を開いて以来、独自のエレガンスを発表しつづけるパイオニアとして、世界的なラグジュアリーブランドとなるまでに成長しました。
セリーヌはエレガントでシック、世代を超えて広く愛されるフランスのブランドとして、世界中のアクティブな女性の支持を集めてきたのです。
1966年、イヴ・サンローランが先駆的にプレタ・ポルテ「リヴ・ゴーシュ」を開店させ、続いて’67年にはセリーヌもプレタポルテを開始し’69年にパリでプレタポルテコレクションに初参加する。 ベーシックでありながらエレガントなムード漂う洗練されたデザインで称賛を浴びる。オートクチュールからプレタ・ポルテへとモード界が比重をシフトさせる時代に相まって、セリーヌは急成長を遂げたのである。
そして現在のセリーヌのモチーフである馬車の柄とバックルのバッグ「サルキー」や馬具の金具をモチーフにしたモカシンで人気を集め、今や一躍一流ブランドとなりました。
1997年から2003−2004年秋冬パリコレクションまで、マイケル・コースがデザイナーを務め大きな活躍を果たした。
2005年春夏からデザイナーにロベルト・メニケッティが就任し、モード感あふれるコレクションでファンを魅了している「セリーヌ」。
しかしながら、その後の秋冬コレクションを最後にわずか2シーズンでセレーヌを去り、新しくIvana Omazicがアーティスティックデレクターに就任。
'05年4月23日には並木通りに路面店をオープン、これからのセリーヌにも目は離せない。
1945年 女性実業家セリーヌ・ヴィピアナが夫と共同でパリに子供靴専門店を創業する。 革職人が作り出す子供靴は、上流階級を中心に話題を呼び顧客も増える、と同時にアイテムも増やしていく。
1959年 婦人靴にも進出。馬具のくつわ型金具装飾のついたモカシン「インカ」が大ヒットする。 これを機にセリーヌは様々な皮革製品全般を取り扱うようになる。
1965年 スカーフ、香水を発表する。
1966年 「プレタポルテ」を開始。既製服分野に進出し、この時点で、衣服、バッグ、靴、アクセサリーなど幅広いトータルブランドとして認知される。
1969年 パリで「プレタポルテコレクション」に初参加する。
1987年 ベルナール・アルノー率いるフィナンシエール・アガッシュがセリーヌを買収。 アルノーはナン・ルジェ(当時30代の女性)を社長に起用し、組織改革を行う。
1996年 セリーヌはアガッシュから「LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン グループ」の一員となり経営全体が見直された。【LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン グループ】・・・・・1987年に設立された高級ブランド品を取り扱う企業の集合体です。大きく5つの事業グループから構成されており、セリーヌは、 「ファッション・レザーグッズ」に属しています。
1997年 フランス本社が100%出資したセリーヌ・ジャパン株式会社を設立する。 この年、マイケル・コース(Michael Kors)が主任デザイナーに任命される。
1999年 マイケル・コースはクリエイティブ・ディレクターに就任する。
2003年 セリーヌ・ジャパン株式会社はファッション・レザーグッズの他ブランドと共に、LVJグループ株式会社となる。合併によりLVMHのファッション・レザーグッズ部門の管理部門と販売会社の経営体質をより強化すると共に、グループブランド間のシナジー効果を最大化することを目指し実施されました。
2004年 マイケル・コースに代わって、ロベルト・メニケッティがアート・ディレクターに任命される。
2005年4月 セリーヌ直営路面店を、銀座並木通りにオープン。
セリーヌはブランド・マークつまり「ロゴ」をうまく使い成長してきた。 最初のロゴ、馬車の柄とバックルのバッグ「サルキー(一頭立二輪馬車)は1968年に商標登録された。
1971年には、パリの凱旋門広場「エトワール」を取り巻く鎖をうまくデザインした「セリーヌ・チェーン」を登録。同年、チェーン柄のブラウス「エトワール」も発売され話題を呼ぶ。
さらに1973年、セリーヌ・チェーン中央部の紋章をかたどった「ブラゾン」を登録。
80年代には、ブラゾンを幾何学的に並べた柄のキャンバス地(セリーヌの代表作であるキャンバスを用いた定番のバックは広く知られている)を登録。このように、セリーヌは70年代のロゴ・ブームで確固たる地位を固めたのです。
しかしセリーヌが一流ブランドとして世界的に有名になったのは、その後の80年代。
この年代は、モード界が保守化していくなかで「正統派クラシック」、あるいは「B.C.B.G.」(ベーセーベージェ)がもてはやされた時代でした。 この傾向に、カジュアルとクラシック、スポーティとエレガンスといった、一見アンバランスなセリーヌのテーマの融合がピッタリとはまり、 「B.C.B.G.」の代名詞と呼ばれることとなるのです。90年代後半からはロゴ・ブームが再発。
それにも乗じて、ニューヨークで活躍していたマイケル・コースを迎えたセリーヌは、 ブラゾンとセリーヌの頭文字Cを重ねたロゴ「C-ブラゾン」をリニューアル。
このロゴはパリの凱旋門を囲む鎖からインスパイアされた「ブラゾン」を現代風にデザインしてもので、セリーヌのコンセプトを象徴していると言えるでしょう。
1997年、マイケル・コース(Michael Kors)はプレタポルテのデザイナーとしてセリーヌに招かれた。
そして2年後、セリーヌのクリエイティブディレクターに就任する。
マイケル・コースは1959年、アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランドに生まれる。
1981年からニューヨークで活動し、セリーヌに入ってからは、セリーヌの堅実さにスポーティ感覚を取り入れたスポーティでシックな作風は話題を呼んだ。 コースがもたらしたデザインにより、セリーヌの売上は240億円と倍増するまでに。
LVMH(1996年、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン グループの一員となる)が念願としていたアメリカのキャリア層への進出も、 セリーヌはグループの一員であったディオール以上の成果を上げた。
コースは1973年に登録されたロゴ「ブラゾン」と、セリーヌの頭文字Cを重ねた新たなロゴ「C-ブラゾン」をリニューアル。
2000−2001年秋冬プレタコレクションでは、80年代のリバイバルとして注目された淑女風クラシック・スタイルの流行を大きくリードし注目された。
ロベルト・メニケッティは、NY州バッファロー生まれのイタリア人で37歳。 アート性を好む「色気より知性」の知的で控えめな女性を表現したデザインがうけている。
90年代の初め、パリでクロード・モンタナのデザイン助手を務める。 その後、ジル・サンダーでメンズラインのスタートにおいて重要な役割を果たし、1997年にはバーバリーのクリエイティブデザイナーに就任する。 しかし4年後、ローズマリー・ブラヴォーとの意見の相違により辞任することになる。
2001年セルッティのクリエイティブ・ディレクターを務めた後、 自らのブランド「メニケッティ」を立ち上げ、2004年2月ニューヨークコレクションで初めて自らのブランドを発表する。
マイケル・コースがセリーヌを去った後、2004年4月LVMHは2005春夏からの次期アーティスティック・ディレクターにロベルト・メニケッティ(Roberto Menichetti)を起用すると発表。セリーヌのアート・ディレクターに就任する。
2005年春夏、2005-2006年秋冬のコレクションを手掛け、国際的なラグジュアリーファッションにおいて広い経験と知識を持った彼の感性は、セリーヌを最先端の世界のファッションとラグジュアリーブランドとしての確立を導こうとしています。
しかしその矢先、2005年5月さずか2シーズンでメニケッティはセリーヌを去るのである。
Omazicはクロアチア生まれの32歳。European Institute of Design in Milanで学び、ロメオ・ジリを経てプラダ・グループに。
プラダ・スポーツ、ジル・サンダーを担当後、ミュウミュウのレディス・コーディネーターに就任する。
2005年4月にセリーヌに移ったOmazicはメニケッティの後任として内部昇格する。 セリーヌは女性デザイナーを中心にメニケッティの後任を探していたと噂され、イサベル・トレド、ヴェロニク・ブランキーノ、アレッサンドラ・ファキネッティが候補に挙げられていた。
プラダ・グループの人材育成法は素晴らしいらしく、どこのブランドもプラダ出身者を欲しがっている中、このmazicもプラダ出身者のようです。ファッション界で超エリートコースを歩んできたOmazic。
セリーヌが今後、この新しいアーティスティック・ディレクターの下、彼がロメオ・ジリ、プラダ・スポーツで培った現代のエッセンスを取り入れより洗練されたブランドに進化することを期待します。